ペットのお葬式

ペットが死んだ、来てください。との連絡をもらい友人宅まで行ってみると「お葬式」のまっ最中でした。これには本当にたまげました。なんと頭を丸め綺麗に剃り上げられたお坊さんが、木魚をポンポン叩きながら低くそしてよく通る声で、読経しているではないですか。

お香の煙が漂いいやがうえにも厳かな雰囲気を醸し出します。たぶん今日はお通夜なのでしょうか。ぼくはただ彼を(面倒ですが)励ましてやってから、とっとと帰宅したかったのですがそんな雰囲気ではありません。「喪主」は彼なのでしょう、奥さんとかわいいお子さんも目を伏せています。

故人といえばいいのでしょうか、故犬なのかもしれませんが、お茶などいただきながらお話を聞くと、享年16歳であったとのこと。ぼくと喪主家族との付き合いよりも長いわけです。

ぼくはペットなど飼っていませんし飼いたくもありません。嫌いなのではなくこういったお別れも悲しすぎること、そしてやっぱり動物にとっての幸せは「人間のオモチャ」にされることではないのでは、といった思いがあるからです。

飼い猫に首輪などされた姿など見せられると、なんて残酷なことを、などと思ったものでした。しかし犬など人間に飼われるしか生きるすべはありません。ペットショップの狭いガラスケースに押し込められ、見世物になっている生きざまをみればネコの首輪よりもせつない思いがこみ上げてきます。

しかし犬やネコの寿命も今や15年、20年前にくらべ倍です。ここにあるのは飼い主のペットに対する愛情なのでしょう。ペットの生活環境は確実に変わりました。しかし長生きにはなったところ、それは老後が待っているといった現実は人間と変わりません。

彼らは家族の一員なんですね、だから、亡くなれば辛いのは当然なのでしょう。友人の落胆ぶりは普段が明るすぎる男でしたからなおさらです。ペットロス、気持ちはわかるような気がします。

しかしここで「もうペットは飼いたくない」と思ったらいけません。愛犬と過ごした人生まで否定することになりませんか。ペットの死から立ち直る方法はあります、ペットは幸せだった、幸せだったのですから。